日本人なら知っておきたい!サムライ魂
サッカー日本代表の“サムライ”ブルー。
プロ野球日本代表“サムライ”JAPAN。
近頃、何かと耳にすることの多い「サムライ」ですが、外国人の方にも日本の「サムライ」はとても人気が高いため、日本人の象徴とも言えますね。
さて、そんなサムライのことを私たちはどのくらい知っているでしょうか?
江戸時代、2本の刀を腰に差して頭に髷を結い、道の真ん中を堂々と歩いていたのは今から数百年前のことです。時代劇では町民や農民を刀で切りつけ、威張っているイメージが強いサムライですが、実は貧乏で町民に頭の上らないサムライもいたようです。
ちょっと意外なサムライたちの姿を今回はお話しようと思います。
サムライと武士の違いとは?
広い意味では同じなのですが、厳密にいうと少し違ってきます。徳川家康や織田信長もサムライであり、武士であったともいえます。
- サムライ→武芸を習い、戦争などの軍事を職業とする人
- 武士→つねに武器を持ち戦闘を職業としている人
また、時代によっても異なるようです。
室町時代以前では、サムライは朝廷に仕える下級官僚のことで、必ずしも武士であるとは限りませんでした。
しかし、戦国時代になるとそれも変化していきます。戦争時には農民も「地サムライ」として戦い、馬にまたがり名乗りを上げて戦うような武将がサムライと呼ばれました。
そうして江戸時代になると、徐々にサムライと武士の境目が薄くなり、違いがなくなったのです。
お金を払えばサムライになれる!?
幕府で許可はしていなかったのですが、江戸後半では裕福な町民などにサムライの地位を売る御家人が続出したそうです。御家人は、将軍に顔を合わす機会がないため、ばれることはなく好都合だったのかもしれませんね。
中には高給取りもいましたが、家柄などで年俸が決まるためわずかなお金しかもらえず、経済的にいき詰まるサムライが多くいたそうです。
切腹なのに腹を切らない!?
サムライといえばいさぎよい「切腹」を思い出しますが、実際はどうだったのでしょう?
切腹とは、短刀で腹部を切り裂く自決法ですが、古くは平安時代からその方法はありました。切腹の意味は「自分の罪を認めて自ら命を絶つ」刑罰ですが、次第に形式化していきます。
腹を切ったあとに腸がはみ出てくることを「無念腹」といい、これは裁判に落ち度があったことを意味すると考えられ、次第に介錯で命を断つように変わっていきます。介錯とは首を刀で切り、楽に死ねるように手助けすることです。
- 江戸初期→自分で腹を切り、その後介錯してもらう。
- 江戸中期→目の前に置かれた短刀に手を伸ばす直前に介錯する。
- 江戸後期→短刀の代わりに扇子が置かれ、介錯される。
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短刀を扇子に置き換えた切腹を「扇子腹」というのですが、戦国時代の武将がこれを見たらなんと言うのでしょう。「なんじゃ!この切腹は!サムライをなんと心得る!」と激怒しそうですよね。