日本の文化こぼれ話②~遊郭における花魁たちの姿
みなさんの花魁に対するイメージとはどんなものでしょう?
数々の女優たちが好演し、その度に話題になっていますね。最近では、脱子役を図った「安達祐実さん」が大胆な濡れ場を披露し世間の注目を浴びました。
その他にも「木村佳乃さん」「菅野美穂さん」「中谷美紀さん」「名取裕子さん」「貫地谷しほりさん」「観月ありささん」「大地真央さん」「土屋アンナさん」など言い出せばきりがないほど。
これだけ何度も映画化されるということは、世間の人がいかに花魁に強い興味を持っているのかがわかりますよね。
花魁はどうしたらなれるの?
ほとんどの場合は、家が貧しく親から「身売り」「肩代り」されてやってくる少女が多く、また郭の中で生まれた子も花魁となる宿命を背負っています。10歳くらいまでの子供が「禿」(かむろ)と呼ばれ、先輩花魁の雑用係をして下積みをしていきます。禿の経験はとても重要なことで、この経験なしでは位の高い花魁にはなれなかったようです。
14~15歳になり花魁としてデビューすることを「新造」といい、このころには自分で着物も着られるようになるまでに成長しますが、この時点ではまだ床入れはしません。先輩花魁がお得意さまに赤飯などを配り歩いて「お披露目」をし、その後「突き出し(床入れ)」をして晴れて一人前の花魁になれるのです。
なぜ花魁と言われるようになったのか?
禿たちが「おいらんとこの姉さんは」とか「いやいや、おいらんとこの姉さんはこんなんだった」と話している間に、遊女のことを「おいらん」と呼ぶようになったようです。意外な理由でおもしろいですよね。ちなみに、「禿」の由来ですが、「はげ」とも読めることから、まだ毛も生えそろっていない幼い少女といった意味合いがあります。
また花魁独特の言葉「ありんす」は、全国から集められた少女たちのお国なまりを隠すためといわれています。
遊郭ってなに?
遊郭とは政府公認の「売春宿」を一箇所に集めたもので、大きな街の郊外に建てられることが多く、その遊郭ごとにしきたりは違うものでした。花魁は格の高い遊女で、身分の高い人やお金持ちにしか遊ぶことは許されません。かといって、客が「この花魁がいい」と言っても、その花魁が承諾しなければ成立はせず、しかも一度や二度通ったくらいでは花魁は「はい」とは言ってはくれません。
宴会の席で花魁は上座に座り、客を品定めします。この宴会は「自分はこんなにも権力があり、お金も持っている」というアピールの場ですから気合も入ります。気に入った花魁と床入れまでにこぎつけるには3度の接待を必要とし、その宴会費・仲介料・芸者を呼ぶ費用もすべて客持ち。しかし、花魁たちはたくさんのお金を掛けて接待する客にとる態度はとても冷たいものでした。
- 一度目の宴会
- ほぼ無視状態、食べ物にも手をつけず、客を見ようともしません
- 二度目の宴会
- 食べ物を一口程度食べ、チラ見するくらいです
- 三度目の宴会
- やっと自分の名前の入った箸と膳が用意され、床入れできます
これまでにかかる費用は何と「100万円以上」もすると言われています。たしかにこれでは一般庶民は手を出せないのがわかりますよね。
しかもそんなに冷たくされたら私だったら一度目で心が折れてしまいそうです…
また、花魁との関係は「結婚の疑似体験」であって、一晩限りの遊びとは異なります。もし、一度関係を結んだ後に他の花魁を指名すれば、それは「浮気」と判断され花魁からとんでもない仕打ちや嫌がらせをされてしまうようです。
身を粉にして働いた花魁の晩年
浮世絵に描かれるほどの頂点にたった花魁は、「身請け」といってお金持ちが妾として引き取り遊郭から出られるようになります。しかし、このような花魁はごくわずかしかいません。
一見華やかに見える花魁の世界ですが、27歳くらいまでに亡くなることが多く、原因としては「不規則・不摂生な生活を続けたこと」で、やはり「性病」にかかり亡くなる花魁がほとんどのようでした。
花魁のマネージャーとして「番頭新造」、「食事を作る仕事」「お裁縫をする仕事」などのスタッフとしての仕事が与えられる花魁もいます。また、番頭新造で出世した場合には「遣り手」という最高のポジションに就くことができたようです。
「遣り手」とは、遊郭の中にいるすべての花魁の総監督みたいなもので、絶対の権限を持つ女性のことをいいます。これも成れるのは一握り。厳しい世界だったのですね。
みなさんが持つ花魁のイメージとは違った人もいるかもしれませんね。
親から売られて仕方なく身を売り働く花魁…しかし、その時代には仕方のないことだったのでしょう。
売られた娘たちも気の毒ですが、売らなければならない親の気持ちを考えるとまた心が痛みますね。