全ての人に知ってほしい!「労働者の祭典」メーデーとは
明日5月1日、と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?
ゴールデンウィーク真っ只中のこの日は、「労働者の祭典」と呼ばれる、俗にいうメーデー(May Day)の日なのです。
日本ではあまり馴染みのないこのメーデーですが、実は80以上の国で祝日となっており、国際機関でも「国際デー」として正式に認められているのです。
国際派紳士としての知識を深めるため、今日はこのメーデーについて、紹介していきたいと思います。
メーデーの由来
メーデーは本来、ヨーロッパ各地で行われてきた、5月祭のことを指しました。
この日は春の訪れを祝い、夏の豊作を祈るために、労使双方が休戦し、みんなで一緒に祝杯をあげていたのです。
このお祭りは各地によって異なりますが、古代ローマの祭りに由来し、キリスト教よりもさらに前に起源をもっているとのこと。
ちなみに、現代の、「労働者の祝日」としてのメーデーにつながったのはイギリスのメーデーです。
イギリスでは古代からこの日を祭日として扱い、野山で摘んできたサンザシを飾りました。
この日に朝露で顔を洗うと美しくなる、という言い伝えもあるそうです。
メーデーが「労働者の祭典」となったのはいつから?
では、いつからメーデーは今のような形になったのでしょうか?
きっかけは1886年5月1日、アメリカで労働者たちがストライキを起こしたのです。
その当時のアメリカでは1日12〜14時間労働が当たり前でした。
そんな状況を変えようと、労働者の一部が、1日24時間のうち
を目標に、1日8時間労働を要求してストライキを起こしたのです。
そしてその3年後、パリで開かれた大会で5月1日に世界中の労働者が一斉にデモンストレーションを行うことが決められました。
これ以降5月1日は「労働者の祭典」としての「メーデー」となりました。
日本のメーデー
日本では1920年に上野公園で第一回メーデーが行われ、その後も続いていたのですが、戦時下体制が敷かれ、国民への統制が厳しくなっていくにつれてメーデーは禁止されてしまいました。
メーデーが再び行われるようになったのは戦後、1946年のこと。
それ以来、現代にいたるまで何度も行われてきたメーデーですが、その内容は時代ごとの国民の声を反映しているため、年によって大きく違ったものとなっております。
戦後すぐに行われた1946年のメーデーは「食糧メーデー」と呼ばれていて、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに食糧不足を訴えるものとなりました。
太平洋戦争による食糧不足であったこの頃の社会情勢を大きく反映しています。
また、1952年に行われたメーデーでは、前年に結ばれた日米安全保障条約への抗議の声が激しく、
過激な行動をとったデモ隊の一部が警官と衝突し、拳銃で射殺される、「血のメーデー事件」も起こっています。
このように、一つ一つのメーデーを見てみると、その年の出来事や社会情勢を大きく反映していることがわかります。
いかがでしたでしょうか?
簡単にではありますが、メーデーについて紹介させて頂きました。
現代ではその存在すら知らないという人もいるメーデーですが、こうして歴史をみてみると、多くの人が長い年月をかけて必死に掴み取った労働者の権利であることが感じられます。
現代日本においても、労働問題は決して小さな問題とは言えません。
労働問題は自分たちのこととしてとらえる、という意識が希薄になっている今、一人一人が自分なりにこの問題について考え、向き合っていくことが大事なのではないかと感じました。
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。